quarta-feira, 7 de dezembro de 2016

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

「わたしがあなたがたを愛したように」という言葉があります。イエス様が私たちのことを愛してくださったように、そのような愛し方で互いに愛し合いなさいと言い残されたのです。ですから私たちが本当の意味で人を愛するようになるためには、イエス様がどのように私たちのことを愛してくださったか、そのことを知る必要があります。
イエス様の愛が最もよく表されているのは十字架です。私たちのために命を捨ててくださった、その愛です。それは親が子どもを愛するような愛と同じです。親は子どもがどんな子どもであっても、命をかけても助けようとするのです。
ローマ書5章にはイエス様が私たち愛し、私たちのために十字架に架かってくださった、そのことが記されております。
6節「私たちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不心身な者たちのために死んで下さったのである」
私たちがまだ弱かったころ。自分で善を行うことができない弱さであり、また誘惑に勝つことのできない弱さ、しかも不信心な者のためにイエス様は十字架に架かって死んでくださったのです。
10節「もし、私たちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」
私たちが神様に敵対していた、敵対心を抱いていたときです。
私たちが立派だったから、神様を信じるようになったから、イエス様は私たちのことを愛してくださったのではないのです。私たちがイエス様のことを知るようになる前から、私たちが教会に行くようになる前から、いや私たちが教会に対して敵対心を持ち、良い印象を持っていなかった、そのような頃から、イエス様は私たちのことを見て、選んでくださって、そしてそんな私たちのことを愛しておられたのです。

そしてそんな私たちを救うために、イエス様は命を投げ出して、十字架に架かって死に、三日後によみがえられたのです。

イエス様は私たちの弱さや欠点も知りながら、そんな私たちの弱さや欠点でさえも、そのまんま受け入れてくださったのです。

Seminarist マロン ユスキ チワタ バホス

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